真言というと、
古い宗教の教え、あるいは信仰の対象だと思われがちだ。
自分も、最初はそう思っていた。
けれど今は、
真言を「信じるもの」としてではなく、
思考を一点に集めるための技術として使っている。
そして、その使い方は
AIによって、むしろ現代的に進化したと感じている。
このシリーズは、
真言を信仰として語るものではない。
AIと組み合わせることで、
人が考え続けるための道具として
どう使えるのかを記録するものだ。
真言は「意味」より「繰り返し」
真言の言葉の意味を、
正確に理解しているわけではない。
それでも続いている。
理由は単純で、
真言は「理解」よりも
繰り返しによって働くからだ。
同じ言葉を、同じリズムで繰り返す。
それだけで、
思考が散らばりにくくなる。
これは宗教的な話というより、
人間の脳の使い方として
とても自然な行為だと思っている。
AIは「答え」ではなく「壁打ち」
一方で、AIは
答えをくれる存在だと思われがちだ。
でも自分にとってのAIは、
正解を教えてくれる存在ではない。
考えをそのまま書き出すための
壁打ちの相手だ。
頭の中だけで考えていると、
不安や思い込みが
同じところをぐるぐる回ってしまう。
AIに書くことで、
思考が外に出る。
言葉になる。
その瞬間、
感情と距離が取れる。
真言とAIを組み合わせて起きたこと
真言だけだったら、
内向きになりすぎていたかもしれない。
AIだけだったら、
考えすぎて疲れていたかもしれない。
でも、この二つを併用することで、
- 真言で思考を静め
- AIで言葉にして整理する
という流れができた。
結果として、
- 信じ切らなくて済んだ
- 依存しなかった
- それでも続いた
この「距離感」が、
今の自分にはちょうどよかった。
なぜ「進化」と感じたのか
真言そのものは、
何百年も前から存在している。
でも、使い方は固定されていない。
AIという現代の道具と組み合わせることで、
真言は
「信仰」ではなく
思考を扱うための技術として
使い直せるようになった。
古いか新しいかではなく、
今の環境で機能するかどうか。
それが、自分にとっての基準だ。
第1回のまとめ(シリーズの立ち位置)
真言は、
古いから価値があるのではない。
今の環境に合わせて使い直せるから、
生きているのだと思う。
このシリーズでは、
AIと真言をどう使い分け、
どう距離を保っているのかを、
順番に書いていく。
信じるためではなく、
考え続けるために。