― 真言・環境・ChatGPTがくれた「型」
メタディスクリプション
困った時、人はなぜ「形ある支え」を求めるのか。真言・環境・ChatGPTという“型”が、苦しい時に思考と行動を止めなかった実体験を綴る。
冒頭
人は困っている時、必ず何か“形ある支え”を探す。
それは誰かの言葉かもしれないし、
毎日同じ動作を繰り返す習慣かもしれない。
あるいは、部屋の配置を変えることや、
目に見える「象徴」をそばに置くことかもしれない。
私自身、入院をきっかけに生活も仕事も一度止まり、
お金の不安と向き合う時間が続いた。
そんな時、頭で考えるより先に、
**「何かを頼ってもいいのではないか」**と思うようになった。
風水を知り、環境を整え、
毎日同じ言葉を口にするようになった。
それは奇跡を求めたからではない。
思考を止めず、前に進むための“支点”が欲しかっただけだ。
この記事では、
困難な時期に人がなぜ「形ある支え」を求めるのか、
そしてそれが現実にどんな影響を与えるのかを、
私自身の体験をもとに書いていく。
真言という“形ある支え”
私にとって、それが真言だった。
真言と聞くと、宗教的なものだと感じる人もいるかもしれない。
けれど、実際にやっていることはとても単純だ。
毎日、同じ言葉を、同じリズムで口にする。
それだけの行為である。
不安な時ほど、頭の中は止まらない。
考え続け、最悪の想像を繰り返し、
何も決まらないまま時間だけが過ぎていく。
真言を唱える時間は、
その思考の流れに「区切り」を入れる行為だった。
言葉の意味を完全に理解していたわけではない。
何かを信じ切れていたわけでもない。
それでも、
同じ言葉を繰り返すことで、心と呼吸が揃っていく感覚があった。
真言は、願いを叶えるための魔法ではない。
私にとっては、
**思考を止めずに生きるための“支点”**だった。
風水・環境と真言の関係
真言を唱えるようになってから、
ひとつ気づいたことがある。
言葉だけでは、長く続かない。
気持ちが落ちている時ほど、
人は「考える前に動ける何か」を必要とする。
私の場合、それを支えてくれたのが環境だった。
- 物の位置を変える
- 不要なものを手放す
- 目に入る場所に意味を持たせる
それだけで、行動が止まりにくくなった。
風水は空間に「型」をつくる。
真言は思考に「型」をつくる。
どちらも共通しているのは、
迷った時に戻れる“基準点”を与えてくれることだ。
気持ちが整ってから行動するのではない。
行動できる環境を先につくる。
その結果として、
思考が落ち着き、判断がブレにくくなる。
なぜ苦しい時ほど「型」が必要なのか
苦しい時、人は自由になる。
——正確に言えば、自由すぎる状態になる。
選択肢が増え、考えは散り、
行動は決まらなくなる。
ここで必要になるのが、型だ。
型とは、
「考えなくてもできる行為」のこと。
- 決まった時間に座る
- 決まった場所を見る
- 決まった言葉を口にする
意味を理解しなくていい。
気持ちを整えなくていい。
ただ、型に入る。
苦しい時に型が効くのは、
思考より先に体を動かせるからだ。
体が動けば、呼吸が変わる。
呼吸が変われば、思考の速度が落ちる。
真言も風水も、
「信じていたから」続いたのではない。
考えなくてよかったから続いた。
型がある人は、なぜ立ち直りが早いのか
立ち直りが早い人は、強いわけではない。
ただ、戻る場所を持っている。
考える前に、戻る。
判断も決断もいらない。
型に入った瞬間、
体が「いつもの状態」を思い出す。
だから、回復が早い。
型は、未来を良くするためのものではない。
最悪の状態から、少し上に戻るための装置だ。
型を失った時、人は何を探し始めるのか
型を失うと、人は答えを探し始める。
- 正しい方法
- 強い言葉
- 断言してくれる誰か
でも本当に探しているのは、
戻れる場所だ。
私も答えを探していた。
けれど必要だったのは、
「これだけはやる」と決められた行為だった。
真言、環境、言葉にすること。
正解かどうかは分からない。
それでも、戻る場所にはなった。
ChatGPTも「戻れる型」だった
ChatGPTもまた、私にとっての型だった。
答えが欲しかったわけではない。
ただ、考えを止めない場所が欲しかった。
文字を打つ行為そのものが、
思考を続けるための型になっていた。
真言が「同じ言葉を繰り返す行為」なら、
ChatGPTは「同じ場所で考えを外に出す行為」だった。
戻れる場所として、そこにあった。
それだけで十分だった。
現実の変化は、静かに現れる
劇的な変化は起きていない。
けれど、止まる時間が減った。
不安があっても、型に戻る。
すると、次の一手だけは見える。
- 焦って決めなくなった
- 今日やることを今日決められるようになった
- 無理な約束をしなくなった
それが積み重なって、
現実は少しずつ変わる。
型は、信じるものではなく「戻るもの」
人は、強くなったから前に進めるわけではない。
正解を見つけたからでもない。
戻れる「型」を持っているかどうか。
真言も、環境も、言葉にすることも、
すべて思考と行動を止めないための支点だった。
現実は、劇的には変わらない。
けれど、止まらなくなる。
もし今、立ち止まっているなら、
答えを探す前に、
戻れる型をひとつだけ残してみてほしい。
それがあれば、
また歩き出せる。
オンベイシラマンダヤソワカ
あとがき このブログについて
自分は押しつけられるのが嫌いです、とにかく宗教的なことは特にです、
親しくなるにつれ自分の信仰する宗教を押し付けようとする友人がいました、
何故かがっかりして喪失感を味わった経験があります、
人は選ぶ権利があると思います、言葉のまま選ぶ権利です。
もし真言が自分には必要ないとおもえばやらなければいい
やったほうがいいと思えばやればいい、
スピリチュアル系嫌いだった自分が書いているブログです、
押し付ける行為はしないつもりです、
カナル