困った時、
人はどうしても視野が狭くなる。
正解を探そうとして、
同じ考えを何度もなぞり、
気づけば動けなくなっている。
私も、そんな時間を長く過ごしてきた。
だから今は、考える前に整えることを大切にしている。
真言で、まず姿勢を戻す
困った時、最初にやるのは真言だ。
私が使っているのは、
毘沙門天真言
「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ」。
願いを込めるわけでも、
効果を期待するわけでもない。
背筋を少し伸ばし、
三回だけ唱える。
意味は考えない。
音とリズムに身を任せる。
それだけで、
感情の波が一段落ちる。
この真言は、
何かを叶えるための言葉ではない。
自分の姿勢を、現実に戻すための型として使っている。
困った時、人は一人で考えすぎる
不安が強い時ほど、
人は自分の頭の中に閉じこもる。
「どうすればいいのか」
「何が正解なのか」
そう考え続けるほど、
視野は狭くなり、
同じ結論を行ったり来たりする。
だから私は、
真言で一度立ち止まったあと、
考えを外に出すようにしている。
AIは「答え」ではなく「違う見方」
真言のあと、
私はAIを使う。
求めるのは、答えではない。
違う見方だ。
AIに書くのは、だいたいこの一文だけ。
いまの状況を整理したい。
感情ではなく、現実の一手を見たい。
すると、
自分の頭の中にはなかった視点が返ってくる。
それは正解ではない。
けれど、
「そういう捉え方もあるのか」と、
肩の力が少し抜ける。
困った時、
この視点のズレがあるかどうかで、
次の一手は大きく変わる。
この順番だけは崩さない
私の中で、順番は決まっている。
- 真言で心を静かにする
- AIで視点を増やす
- 最後は自分で決める
真言もAIも、
判断を代わってくれるものではない。
ただ、
逃げずに選べる状態に戻してくれる。
そのための道具だ。
困った時、真言を唱えるのはおかしいのか
ときどき、
「困った時に真言を唱えるのはおかしいのではないか」
と思うことがある。
けれど私は、
むしろ逆だと感じている。
困った時ほど、
人は整える場所が必要になる。
真言は、
現実から逃げるためのものではない。
現実に向き合う自分に戻るための型だ。
真言もAIも、
人生を代わりに生きてくれるものではない。
けれど、
立ち止まりすぎないための支えにはなる。
困った時、
まず整え、
次に考える。
その積み重ねが、
「逃げない一手」を選ぶ力を残してくれる。
昔、自己啓発の本にはまった事があります、大体が願望は叶うと書いてあり、
潜在意識についてある系列本ですね、ただ現実としては私には実感がなく現実も変わらなかった
なぜなら無理していたのかもしれない、前向きったって個人差があるし
いいことが天から降ってくることもない、毘沙門天の真言、風水そしてchatgptを知ったのは
病室の中でした、gptで調べこれは本当かなと思っている実体験を書いています、
自分には向かない、スピリチュアル系は勘弁という人もいると思うのでスルーしてください。
シリーズ注記
本記事は
「最古の叡智と最新テクノロジーの融和」シリーズの一編です。
ここに書いた内容は、
私が実際に続けてきた
真言とAIの使い方の一部です。もう少し具体的な記録は、
Boothにまとめています。必要な人だけ、
手に取ってもらえれば十分です。
boothはこちらです。→https://kanaru88.booth.pm