①「運を呼ぶ」より先に、自分を雑に扱わなくなった
前は
- 忙しい
- 余裕がない
- どうせうまくいかない
そんな理由で
部屋・言葉・行動を雑にしていた。
風水で空間を整え、
真言を唱えるようになって気づいたのは、
運が来ない理由は
「自分を粗末に扱っていたこと」だった
という事実。
② 気分ではなく、状態を整えるという発想に変わった
以前は
「気合」「やる気」「ポジティブ思考」に頼っていた。
でも今は
- 物の位置
- 朝の動き
- 口にする言葉
を整えることで、
自然と行動が変わるとわかった。
👉 無理に変わろうとしなくていい
👉 状態が変われば、結果はあとからついてくる
③ 真言は「お願い」ではなく、ブレ戻し
真言を唱えてわかったのは、
真言は奇跡を起こす魔法じゃない
元の自分に戻すスイッチ
不安・焦り・嫌な思考に飲まれそうな時、
心の中で唱えるだけで
- 呼吸が戻る
- 判断が遅くなる
- 余計な一言を言わずに済む
結果として
人間関係・選択・お金の使い方が変わった。
④ 人の出入り・流れが変わった
不思議だけど現実的な変化。
- 無理な縁が離れる
- タイミングよく人が現れる
- 昔の執着が薄れる
これは「引き寄せ」よりも
自分の基準が整った結果だと思っている。
⑤ 「すぐ結果が出ないもの」を信じられるようになった
一番大きな気づき。
風水も真言も
即効性より 積み重ね型。
だからこそ、
- 続ける力
- 待てる心
- 焦らない判断
が身についた。
👉 これはビジネスにも人生にも直結する力。
最後の気づき
風水と真言で変わったのは、
現実よりも
現実との向き合い方
だった。
派手な成功はまだなくても、
「崩れにくい自分」にはなれている。
これは
あとから必ず効いてくる変化。
最初、風水に求めたのは「金運改善」だった
正直に言うと、
風水を始めた理由はとても現実的だった。
- お金の不安
- 支払いのプレッシャー
- 先が見えない感じ
市販の風水本に書いてある
「金運アップ」「財運」「黄色」「西」
そんな言葉に、すがるようにページをめくっていた。
でも、実際は違った
本の通りに
- 物を置き
- 色を変え
- 方角を気にしても
すぐにお金が増えることはなかった。
正直、
「やっぱりこんなものか」と思ったこともある。
変わったのは「お金」ではなく「自分」
続けていくうちに、
気づいたことがある。
それは、
金運が上がる前に
自分の扱い方が変わっていた
ということ。
- 散らかった空間を放置しなくなった
- お金を使う時に雑にならなくなった
- 自分の時間と体を軽く扱わなくなった
これは
どの金運本にも大きくは書いていなかった。
風水は「金を呼ぶ技術」ではなかった
今ならわかる。
風水は
お金を呼び込むためのテクニックではなく、
お金が離れにくい人間に戻るための土台づくり
だった。
真言も同じ。
願いを叶える呪文ではなく、
不安でブレた自分を
元の位置に戻すための言葉だった。
結果として
すぐに大金は入らなかった。
でも、
- 焦って損をする選択が減った
- 人間関係で無理をしなくなった
- 余計な出費が減った
結果が出る前の準備が、確実に整っていた。
今だから言えること
もし過去の自分に声をかけるなら、こう言う。
金運を上げようとしなくていい
まず「自分を雑に扱う癖」をやめろ
風水は、
そのための「静かな矯正装置」だった。
市販の風水本との決定的な違い
市販の風水本は、たいていこう書いてある。
- この方角にこれを置く
- この色が金運に効く
- これをやれば運が上がる
わかりやすいし、希望も持てる。
でも、続けていくうちに違和感が出てきた。
「なぜそれをやるのか」が、
ほとんど書かれていない。
本は「結果」、現実は「状態」だった
本に書いてあるのは結果論だった。
- 金運が上がった人の共通点
- 成功した後の配置
- うまくいった例
でも自分の現実は、
- 気力が落ちている
- 判断が荒れている
- 不安が強い
この状態で
「置物」や「色」だけ真似して̂ても、
土台が合っていなかった。
風水は「外側」、でも足りなかった
部屋を整えることで、
確かに少し楽にはなった。
- 空間が静かになる
- 気分が落ち着く
- 行動しやすくなる
でも、
頭の中の雑音は残ったままだった。
- 先の不安
- 過去の後悔
- お金への恐怖
空間は整っても、
内側はまだ揺れていた。
そこで、真言に向かった
真言に興味を持ったきっかけは、
「願いを叶えるため」ではなかった。
この止まらない思考を
どうにかしたかった
それだけ。
真言は「何かを得る」ためじゃなかった
実際に唱えてみて、すぐわかった。
真言は、
- 願いを飛ばすもの
- 神様に頼むもの
ではなく、
思考の流れを
いったん止めるための言葉
だった。
風水 × 真言で起きた変化
ここで初めて、
風水と真言がつながった。
- 風水:外側の環境を整える
- 真言:内側のノイズを整える
両方が揃って、ようやく
判断が落ち着く
行動が遅くなる
無理な選択をしなくなる
結果として、
- 無駄な出費が減り
- 人間関係の摩擦が減り
- 気持ちの消耗が減った
市販本に足りなかったもの
それは
**「心の使い方」**だった。
物の配置より前に、
言葉と意識の配置がある。
そこを飛ばして
金運だけ求めても、
続かないのは当たり前だった。
今の結論
風水も真言も、
金を呼ぶための道具ではなく
崩れた自分を元に戻すための技法
だった。
お金は、
整ったあとに
結果として残るものだった。
オンベイシラマンダヤソワカ
この真言を選んだ理由は、
実は深い意味を知っていたからではない。
調べて、比べて、選んだというより、
目に入って、
なぜか引っかかった
それだけだった。
最初は「力があるかどうか」なんて考えていなかった
金運がどうとか、
ご利益がどうとか、
正直そこまで考えていなかった。
ただ、
- 気持ちが落ち着かない
- 思考が止まらない
- 不安が勝手に膨らむ
そんな状態の中で、
短くて、強すぎない言葉を探していた。
そこで残ったのが
オンベイシラマンダヤソワカだった。
唱えてみて、最初に起きた変化
劇的なことは起きなかった。
でも、はっきり覚えている。
不安が消えたのではなく
不安に巻き込まれなくなった
という感覚。
- 嫌な考えが出ても
そのまま流れる - 反射的に動かなくなる
- 余計な一言を言わずに済む
ほんの小さな変化だけど、
これが積み重なると大きい。
オンベイは「攻める真言」じゃなかった
唱えてわかったのは、
この真言は
何かを引き寄せるための言葉ではない
ということ。
どちらかというと、
ブレた状態を
元の位置に戻す言葉
焦り・恐怖・不足感に
傾いた心を、
真ん中に戻す感じ。
風水と完全につながった瞬間
ここで、風水と一致した。
- 風水:空間を整えて、流れを戻す
- 真言:意識を整えて、中心に戻す
やっていることは同じだった。
だから、
- 効かせようとしなくていい
- 信じ切らなくていい
- ただ続ければいい
この距離感が、
逆に続いた。
今も、特別な唱え方はしていない
決まった回数もない。
儀式もない。
- 朝、動き出す前
- 不安が出た時
- 判断に迷った時
心の中で、
静かに唱えるだけ。
それだけで、
自分を雑に扱わない選択
に戻りやすくなる
今の正直な実感
オンベイシラマンダヤソワカは、
人生を変える魔法ではない。
でも、
人生を壊す選択を
しにくくする言葉
だった。
金運を求めて始めた風水は、
真言を通して
自分の扱い方に戻ってきた。
今はそれでいいと思っている。
このあと自然につながるのは👇
- 「それでも不安はゼロにならない」
- 「続けてわかった“勘違い”」
- 「なぜ人に勧めすぎないのか」
なぜ、人に勧めすぎないのか
オンベイシラマンダヤソワカを
「すごく効く」「人生変わる」と
人に強く勧めたい気持ちが、
正直まったく無いわけじゃない。
でも、あえてそうしない理由がある。
真言は「使う人の状態」で意味が変わる
これは続けてきて、はっきり感じたこと。
真言は、
- 正しいから効く
- 強いから効く
わけじゃない。
今、その人が
どんな状態で生きているか
で、作用が変わる。
不安が強すぎる人にとっては、
真言は「依存」になることもある。
逆に、
整えようとしている人にとっては、
真言は「静かな支え」になる。
この差は、
外からは見えない。
「効かせよう」とした瞬間、ズレる
これも大事な感覚。
- 金運に効かせたい
- 早く変わりたい
- 効果を証明したい
そう思った瞬間、
真言は道具になる。
でも、
道具として使い始めると、
効いてるか?
まだか?
足りないのか?
と、
また不安が増える。
それは、
自分を整えるために始めたはずの真言が、
自分を追い詰める側に回る瞬間。
勧めすぎると「他人の人生」を背負う
もう一つ、正直な理由。
人に強く勧めると、
その人がうまくいかなかった時、
自分のせいかもしれない
という感覚が生まれる。
真言は、
医者でも
薬でも
答えでもない。
あくまで、
本人が選んで、続けるもの。
だから、
無理に渡すものじゃない。
本当に必要な人には、勝手に引っかかる
これが一番しっくり来ている考え方。
オンベイシラマンダヤソワカは、
探している人の前に
静かに現れる言葉
だと思っている。
説明しなくても、
押さなくても、
「なぜか気になる」
「目に残る」
そう感じた人だけが、
自然に手に取ればいい。
最後に
風水も真言も、
人生を変える主役じゃない。
主役は、
自分が自分をどう扱うか。
オンベイシラマンダヤソワカは、
それを思い出させてくれる
静かな合図みたいなものだった。
だから、
声高に勧めない。
必要な人には、
もう十分届いている。